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【エリザベート 1878 感想】ポスターでは中指を立てているけれど

キャンペーンで映画無料になるポイントをもらったこともあり、久しぶりに映画館に行ってきた。

観たのはちょっと気になっていた「エリザベート 1878」
シシィの愛称で知られるオーストリア皇后の1年に迫った映画である。

transformer.co.jp

エリザベート 1878 [DVD]

以降、ネタバレを含む感想ですのでご注意ください

侍女の手記のようなドキュメンタリー

ヨーロッパ宮廷一の美貌と謳われたオーストリア皇后エリザベート
シシィの愛称で親しまれ、日本でもミュージカルで大人気の彼女

思いがけない皇帝との結婚、ハンガリーとのかかわり、息子のスキャンダラスな死、そして自身の暗殺と、伝説の女性で非現実的な扱いが多い彼女を、あえて特筆するようなイベントが起きたわけでもない1年に絞ってドキュメンタリーのように描くことで、より血の通った人間としての彼女に迫れているような作品になっている。
もちろんドキュメンタリーではなくフィクションだが。

伝説の皇后ではない人間としての彼女に迫りつつも、彼女が多くを語るわけではない。
ビッキー・クリープスの名演を楽しみながら、何を思っているのかわかるような、わからないような。

側にはいるけれど、家族として、友人として、仲間として心を通わすわけではない侍女のような立ち位置でその1年を追っていく。

思っていた以上に私の中のシシィ像そのものだった

私にとってはシシィはミュージカルでおなじみ。

ただし、日本で観るミュージカル版はフィクションなうえ宝塚ナイズドされ、さらに日本人の好みに沿うよう強めに演出がかかっているので実際の彼女を描いたものとはかけ離れているであろう。
そもそも死の概念(イケメン)とかいう超フィクションだし。

そんな宝塚・東宝版ミュージカルの演出を担う小池修一郎先生のコメントや、

今まで「謎めいた」と形容されて来た
オーストリー皇后エリザベート
その人生の真実を、1878年1年間の彼女の生活を追う
セミ・ドキュメンタリー的なタッチで描く異色作。
女性監督ならではの視点が、
彼女の生き方に新たな光を当てている。
小池修一郎

あの一路真輝さん*1のコメントから

今までのエリザベート皇后の伝記を
塗り替えてしまうような革命的な映画。
真実と嘘の境目は誰にもわからない。
でもこの映画を観た後は
エリザベートが自由になれて良かったと心から思う、 そこに真実があるのだとも。
一路真輝

映画『エリザベート1878』公式サイト


ミュージカル版からは想像もつかないような、鮮烈で予想外のシシィ像が描かれていると思っていたが、そうでもなかった。

どちらかというと私が思っていたシシィが動いていた。
予想外だったのはヘビースモーカーだったのとクスリをキメているところくらい。

私個人としては「私だけに」はお上品な「うっせぇわ」(Ado)だと思っているが、


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その後、ハンガリーで自分の意思を通すことを覚えその美貌ととともに栄華を極めた*2のも束の間、窮屈さに耐えられず放蕩と放浪を重ねる中年期の彼女そのものである。

ポスターでは中指を立てているけれど

バイエルンで父の気質を受け継ぎながら自由に育った彼女にとって、厳格な皇室での生活は苦しいものであったことには間違いないが、ポスターの通りそんなもの中指立てて突き返すほど彼女には自分の軸があるわけでもなく、妻であり母でありという女の役割や、皇后という象徴の役割を捨てきれていないのだ。

この部分の不整合がじわじわとコルセットのように締め付けていく。

妻として

皇帝は晩年どころか彼女の死後もずっと大変な愛妻家であったと伝え聞いているけれど、育ちも経歴も彼女とは合わなさそうである。
美しい皇后としての彼女を求めても、内面に踏み込んではこない。そして政治の話をすればあからさまに拒む。

美しい皇后さまも彼女自身が努力して生み出している彼女自身の一側面であるゆえに苦しい。

もう子供は産めないと自分で口にしながらも、夫を誘う心境はいかに。

母として

幼い娘を夜に無理やり連れだした結果体調を崩させてしまうことになったり、お風呂の中に引っ張り込んで抱きしめたり、留学前日の息子のベッドの中に入ったり…
やっていることはなんか狂気じみているのだが、おそらく彼女なりの不器用な愛ゆえの行動で、母であることを放棄しようとはしていない。

ただ狂気じみている愛はやはり子供達には届かない。
息子には男性関係をたしなめられ、(このときのシシィは知る由もないが、観客は10年後に心中すると知っているからキツイ)
唯一手元で育てた最愛の娘とされるマリー・ヴァレリーもどこか疎ましがっているように見える。
映画の終盤では、母が影武者を使ったとは知らずに、表舞台の母は威厳があってよかったと話す。

皇后という象徴として

永遠に美しい、若々しく美しい、そううたわれる(謳われる、歌われる)エリザベート皇后

もちろんそれでも年齢は重ねるので、当時の一般女性の平均年齢に達する。
そんななか、やたら体重を気にし、食事もわずか、コルセットをきつく縛り上げ、あくまでヨーロッパ一の美貌と謳われた自身の象徴としてのイメージを保つべく加齢に抗う。

「私を見つめるあなたを見ていたい」

窮屈なコルセットに押し込められた彼女は、すごく愛に飢えている。
皇帝はもちろんほかの男性の愛も。
そして恋愛に限らず親子愛などほかの形も愛も。

でも愛を求めているのに彼女が誰かを愛するということが弱い。
もはやどう愛したらいいかわからないのだと思う。

「私を見つめるあなたを見ていたい」というセリフがとても印象的だった。
すごくよくわかるのだが、自分がなさすぎではないか。

ラスト

終盤、呪縛から放たれるべく髪を切り、影武者を育て、最後には海に飛び込む。
イタリアの海はバカンス目的だろうに、どこかエリザベートと周りの侍女だけ葬式モードなのが印象的。

中盤で落馬したり窓から飛び降りたりしても軽症だった謎の運を持っている彼女だからその後どうなったかは不明。
さすがに海だからそのまま溺れて遺体も見つからずというところなのだろうか。
そして周りの侍女たち以外は知ることなくあとは影武者が本人として生きて、ルキーニに殺されたのだろうか*3

観客は真実を知る由もないが、
ただこのラストが、彼女にとって救いだったのか、逃げだったのか、それともバッドエンドなのか、ぼんやりと考えてしまう。

*1:宝塚初演のトート閣下役で、東宝初演でエリザベート役を演じた

*2:「私が踊る時」

*3:史実ではエリザベートはルイジ・ルキーニに暗殺される