ここ数日、Twitter(の一部界隈)を賑わせているkimono
キム・カーダシアンさんが、自らがプロデュースする補正下着ブランドに"KIMONO"と名付け、あろうことか商標登録を申請しているという。
【下着名KIMONO 文化侮辱の声】https://t.co/yjZzLFSUqn
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2019年6月26日
キム・カーダシアンさんが下着のブランド名に「キモノ」という名を使用し、日本の着物を侮辱していると物議。大学教授は「もしサリーという名のブラジャーを作ったらとても怒る人がいるだろう。非常に無礼」。
まずニュースを見たとき目を疑った。正直意味が分からなかった。
それから、商標についてはあまり詳しくないのだけれども、私なりにいろいろ調べたり、考えたこともあるので、ここにまとめておこうと思う。
文化の盗用
この問題で一番多く上がっている声が、文化盗用(Cultural appropriation)との声である。
辞書的には
the act of taking or using things from a culture that is not your own, especially without showing that you understand or respect this culture:
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/cultural-appropriation
(あまり英語が得意ではないなりに訳すと、「自身の文化ではない文化のものをとったり、利用したりすること。特にその文化を理解・リスペクトしていない場合」respectの訳はかなり難しいけど、ここでは尊敬という意味より尊重とかのほうが近いかな?)
といわれても、いまいちしっくりこなかったので、すこし調べたのだが、(とはいっても少しググった程度だけれども)どうも今回の件とは性質が異なるように感じる。
というのも、文化の盗用というと、どうやらマジョリティがマイノリティ文化を勝手に扱うことで、マジョリティがマイノリティの文化を利用するというこの向きがかなり重要なようなのだ。
週刊誌記事で申し訳ないが、一部引用させていただくと、
音楽であれ、ファッションであれ、彼らの強いアイデンティティとプライドを礎とする文化が、いったん白人の目に触れると横取りされ、かつ商品化がおこなわれて利益は白人側に流れた。アイデンティティ、プライド、経済利益を揃って奪われてしまうのである。黒人が白人に対し、文化の盗用を訴える理由だ。
さらに、
要するに、文化の盗用は異なる人種民族間で起こるというより、力を持ったマジョリティから、搾取されてしまう弱いマイノリティに向けておこなわれるのである。マイノリティにとってさらに苛立たしいのは、盗用・搾取する側のマジョリティは自身の行いがマイノリティを傷付けていることに気付かず、「それ、いいね」くらいの、ごく軽い気持ちでやってしまうことだ。
これをみて第一に感じたのは、文化の盗用は、文化だけでなく様々なものを搾取されたマイノリティとマジョリティの悲しい歴史(今も終わったとはいいがたいが)がある前提の概念だということだ。
実際マイノリティがマジョリティの作った服を着てもなにも非難はされないのである。それが当たり前だとみなされているから。
一方で、我々日本人は日本にいる限り圧倒的マジョリティである。
だからなのか私の中では、文化の盗用という概念を理解はできるけれども、その種の怒りが芽生えにくい。
だからこそアリアナ・グランデさんが「七輪」とタトゥーを入れたとき、「七輪って7 ringsではないよグリルだよw」というツッコミたくなる気持ちは少しはあった*1が、リスペクトが足りない!文化の盗用だ!という気持ちは起こらなかった。
けれども、日本人じゃないのによくわかってない日本語を使うなんてけしからん!という声も実際に上がったようなのだ。実際、彼女は日本語の勉強をやめるといってしまった。
欧米(とくにアメリカ)との歴史の違いからも、日本人、少なくとも私自身に、文化の盗用という概念はしっくりこないように思う。
話はそれてしまったが、補正下着の話に戻そう。
このkimonoという命名で怒りの感情が芽生えるのは、文化盗用されたからなのだろうか。
言い換えるならば、マイノリティである日本人の文化(=着物)をよそ者が勝手に利用しているからなのだろうか。
もちろん盗用という側面がないとは思わないが、私の怒りは盗用されたと感じているからではないように思う。
だって、日本人が、自分がプロデュースする下着にキモノと命名し商標申請しても、腹が立ったに違いないから。
まあそのほうがより意味が分かんないという気持ちも強かっただろうし、そもそも日本でKIMONOでは商標として通るとは思えないが。
文化という共有財産
私が怒っているのは、みんなの共有財産である着物を、自分の商品の名前として独占的に利用しようとしているからだと思う。
すでにインスタグラムで#kimonoと検索すると、トップの画像は補正下着かキム・カーダシアンさんの写真だ。
いずれkimonoとググったら下着のことばかり出てきて、着物のことが出てこなくなるかもしれない。
KIMONO=キム・カーダシアンの下着という認識になったら、ただただ悲しい。
そして、kimonoという名前で着物をアメリカで販売しようとすることが制限されてしまうと考えると、ただただ腹立たしい。
彼女自身は、批判の嵐を受けて
私が手がける矯正下着やブランドでその言葉を使うことを許可するためのものですが、それは、例えば誰かが着物を作ることや、『kimono』という言葉を伝統衣裳を示す際に使うことを排除したり、制限したりするものではありません
キム・カーダシアンの下着ブランド「KIMONO」が波紋。本人が声明「ブランド名を変えるつもりはない」 | ハフポスト
と言っているようだが、そもそも彼女に民族衣装としてならこの単語を使ってもいいよ★などといわれてるのがおかしいだろう。
もうすでにこの単語に関しては彼女が主導権を握っているのだろうか…。
配慮のなさへの怒り
そしてもう一つ付け加えさせてもらうとすると、いくらなんでも配慮がなさすぎませんかという話である。
実際SNSなどを通して声は上がっている。
けれどもインスタグラムの批判コメントは削除されているし、twitterの意見も届いていないようだ。
そして、彼女は名前は変えないと宣言した。
こうして無視できないぐらいの人々が怒っているのに、それはどうでもいいんだろうか。
XXS~4XLと幅広いサイズ展開に、多色展開で自分に合った色が選べる、という商品なのに、ネーミングに多様性への配慮が微塵にも感じられないのは何の皮肉なんだろうか。
着物への思い入れ
最後に完全に余談となってしまうが、私のなかで、私が思っている以上に着物の存在は大きかったんだなあとこの騒動で認識させられた。
私自身、着物なんてめったに着ない。
きちんと振袖を着たのは成人式の時ぐらいしかない。それ以外に着物を着たのも七五三と卒業式の時に袴を着たぐらいだ。
私は浴衣を着る機会すらほとんどなくて、店頭で見かけた浴衣をかわいいと思いつつも着る機会がないからという理由で購入を見送ってしまった。
それに着付けができる日本人なんてどれぐらいの割合なんだろう。
浴衣だったら一定数いるだろうが、振袖留袖ともなるとほとんどの人は着せてあげることすらできない。
それでも、kimonoという名前が、全く関係ないものの名前として名付けられ、そしてそれが私物化されることにものすごく抵抗がある。
ほかの一般名詞でいえば、リンゴの名前の会社があってもなんとも思わないのに、着物と名付けられた着物とは全く関係のない下着は絶対に嫌なのだ。
着物が私の中で大事な存在だと気づくきっかけがこんな悲しいことじゃなかったらよかったのに。
追記
My brands and products are built with inclusivity and diversity at their core and after careful thought and consideration, I will be launching my Solutionwear brand under a new name. I will be in touch soon. Thank you for your understanding and support always.
— Kim Kardashian West (@KimKardashian) July 1, 2019
撤回されたようですね。一安心かな
*1:それでも、実際にリプライ送ってる人たちを見ると悲しい気持ちになった