「ベルサイユのばら」は不朽の名作である。
イラストは原作/昭和アニメ版両方観たことがあるし、宝塚版(俗にヅカばらともいわれる)も一部の楽曲は耳にしたことがある。アントワネットさまにオスカルに名キャラがたくさんいる。
しかし、なんだかんだちゃんとどのバージョンも長いこと観たことがなかった。
2024年夏~秋の雪組公演ではじめてヅカばらを全編観て、舞台の絢爛さとアントワネットさまの高貴さに心惹かれた。
そして、原作とヅカばらはわりと異なる部分も多いと聞いて、しっかり全編ストーリーも楽しみたいと原作漫画も読んだのがついこないだのこと。
こうして私の中でプチ・ベルばらブームが来ていたところに、ちょうど新しい劇場アニメ版が公開された。
追い風を受けて意気揚々と観に行ってきた。

以下、ネタバレを含みますのでご注意ください
作品概要
「ベルサイユのばら」は、1972年より「週刊マーガレット」(集英社)にて連載され、現在累計発行部数は2000万部を突破し、日本にとどまらず世界中で愛されている池田理代子先生の作品だ。
50年以上の時を経て、今新たな劇場版となった。
将軍家の跡取りで、“息子”として育てられた男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。
隣国オーストリアから嫁いできた気高く優美な王妃マリー・アントワネット。
オスカルの従者で幼なじみの平民アンドレ・グランディエ。
容姿端麗で知性的なスウェーデンの伯爵ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン。
彼らは栄華を誇る18世紀後半のフランス・ベルサイユで出会い、時代に翻弄されながらも、それぞれの運命を美しく生きる。
これは、フランス革命という激動の時代の中で、それぞれの人生を懸命に生き抜いた「愛と運命の物語」
主なキャスト(声優)は以下の通り。
- オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ:沢城みゆき
- マリー・アントワネット:平野 綾
- アンドレ・グランディエ:豊永利行
- ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン:加藤和樹
ベルばらに上映時間113分は足りなすぎる
ベルサイユのばらの原作はマリー・アントワネットの少女時代からフランス革命で処刑されるまでを描き、恋人であったフェルゼン*1が虐殺されるところで幕を閉じる、全10巻*2の長編である。
今回の映画版は上映時間113分と通常の映画の長さでありながら、前後編に分けるでもなく、一応マリー・アントワネットのお輿入れぐらいからバスティーユ襲撃までを描いている。
(※フランス万歳…からラストまではダイジェスト)
当然のように時間が足りない。
他の漫画の劇場アニメ版だと、例えば大ヒットした劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」は約2巻分(第7巻~第8巻)を上映時間117分でやっているわけだから、ベルサイユのばらほとんど全編となると時間が足りない当然である。
時間が全然足りないので、オスカル様が革命に身をささげるまでにストーリーを絞り込み、大胆にエピソードを省略したことで、筋が通っていてわかりやすく、見ごたえがある作品になっている。
デュバリー夫人との対立、首飾り事件、黒い騎士事件と重要エピソードがほぼ描かれない。
ロザリーも名前は呼ばれることはなく、セリフも上演前のミニアニメのみ。
X(旧Twitter)で「監督か脚本がアンドレ」というポストをお見かけして笑ってしまったが、とにかくアントワネットの転機や彼女が王妃として君主として成長していくところは時間都合で泣く泣くそぎ落とし、オスカルが革命に向かっていく様に絞り込んで物語が展開していく。
なんなら、オスカルのフェルゼンへの恋慕の描写すらも軽く、レディオスカルのシーンもさらっと歌で流していく。
やっぱり監督か脚本がアンドレ説が否定できない。笑
ベルサイユのばらは最初はマリー・アントワネットを主人公に物語が展開されていくため、序盤はすべて駆け足。
そのため、観始めてはじめはちょっと軽すぎるのではないか、盛り上がりに欠けてるのではないかと先の展開が不安になったが、オスカルが近衛隊から衛兵隊に異動したときからググっと物語が動き、ラストに向かって涙が止まらなかった。
オスカル様の物語
オスカルは女性だが、男の子に恵まれなかった貴族の父によって後継者となるべく男性として育てられ、はじめは近衛兵としてマリー・アントワネットのそばで護衛していたが、衛兵隊にうつり、フランス革命では貴族ながらに民衆側に就きバスティーユ襲撃に参加する。
女性なのに男性として育てられた軍人である、貴族なのに平民を愛する、マリーアントワネットのよき友であったのにバスティーユ襲撃で寝返る…など、オスカルは「○○なのに●●」をたくさん持った人。
ただし、気まぐれにふらふらしているわけではなく、迷い葛藤した先でこのギャップにたどり着いている。
その葛藤が、18世紀の架空の人物の悩みにもかかわらず、現代を生きる私にもどうしても無関係ではいられなくて、気持ちが入ってしまう。
進撃前のスピーチの好きなところを句読点を補いながら引用する。
わたしは以前しょくんにこういったことがある。心は自由なのだ…と…。
どんな人間でも人間であるかぎりだれの奴隷にも所有物にもならない心の自由をもっている…と…。
いま…あのことばのあやちをわたしは訂正しようと思う。”訂正”というのが適切でないなら”つけくわえる”といってもいい。
自由であるべきは心のみにあらず!!人間はその指先1本、髪の毛1本にいたるまで、すべて神の下に平等であり自由であるべきなのだ。
そういうオスカル自身の人生で、心は自由と断言するのは難しい状況にあった。
恋愛ひとつとっても、男として育ち、男装の麗人として認知され、結婚適齢期の時の恋も本人に言葉にして愛を告げることすらも叶わずに、女性装で一度だけダンスを踊ってそのままフラれてしまった。
そんな気持ちをようやく静めたと思ったら、今度はいきなり父から結婚して跡継ぎを産めと迫られる。
そしてそばにいた人の愛に気づき愛を返すようになるも、その人と結婚するのは身分の違いがあり難しい…。(アンドレと異なり、オスカルの側は身分さゆえに結婚できないことをさほど気に病んでいなさそうではあったが)
でも、自由であることを是とした。
権力で人を言いなりに動かすことを拒んだ。
悩みながらも自分と向き合い、そして友人部下そして最後には家族とも向き合って、最終的に自分を手に入れた。
男として育てられたから、女でありながら広い世界を人間として生きる道を与えてもらったと父に感謝の言葉を(嫌味でなく)告げるほどまでに。
葛藤を超えて自分を手に入れてすぐ出撃していくのがあまりにも哀しい。
私たちは自由であるはずだ。
フランス革命の精神は時を経て、海を越えてやってきた。
それでも私たちの魂は本当に自由だろうか、正直なところ自信が持てずにいる。
というかそもそも自由ってどういう状態?なにをえらべばいいの?と。
だからオスカルの物語に感情移入し、心が揺さぶられるのだろう。
劇場アニメでは、ベテランの名声優の熱演とともに、動画でこの物語が楽しめる。
動くオスカル様がその煌めきをみせてくれて、映画で観ることができて本当によかった。