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【トイ・ストーリー4 感想】ディズニー/ピクサーは私を置いておとぎ話にさよならを告げていたのかもしれない

やっとトイ・ストーリ4を観に行ってきた。

公開からはもうだいぶたっているのだけれども*1ピクサー映画はあまり元気がないときにみると、必要以上に考え込んでしまいより疲れてしまうので、ある程度気持ちを整えなくてはいけないと個人的に思っているので、自分のゆとりのある時を探していたらこのタイミングになった。

…というわけでトイ・ストーリー4の感想記事です。

まず前提として

まず初めにはっきり言ってしまうと、私はトイ・ストーリーにはそこまでの強い思い入れがない。

いわゆるアンディ世代より少し下で、生まれたのがちょうどトイ・ストーリー(無印 以下1とする)が公開されたぐらいだ。
世代的にはドンピシャ

けれども、我が家ではあんまりトイ・ストーリーをはじめとするピクサー映画はみなかった。
せいぜい友達の家で観たり、地上波で放送されたときにみたりする程度
もっぱらディズニーの2Dアニメーションで育てられた。

トイ・ストーリーシリーズは観たことがあるし、ストーリーもキャラクターもだいたい覚えてるけど、細かいシーン一つ一つ覚えているかといわれると覚えていないぐらい。

というわけで、これから先の感想は、熱心なファンがいってることではなく、にわかがなんか言ってるぐらいの感じでとらえてください。

技術の進歩がすごい

本筋に関連しないところで一つ。
CGアニメーション技術の進歩がすごい

トイ・ストーリーは世界初のフルCGアニメ―ション長編映画
1995年当時、CGは人を描くのが苦手で、どうしても不気味の谷から出てきた感じになってしまっていた。
つるつるしたものは得意でも、温かいものを描くのが苦手というべきか、どうしても描写が硬かった。

そんななか、題材がおもちゃという逆転の発想ともいえるアイデアが本当に見事ともいえる。
(何様って感じですよねごめんなさい)
そして、ヴィランであるシド少年があの不気味さとよくマッチしたw

しかし、2,3と作品を重ねるごとに、CGの技術は信じられないほどに伸び、いまではもう人を書くのは苦手なんてとても言えない
今作では、持ち主のボニーとその家族をはじめ、たくさんの人が登場する。
人の登場シーンもかなり長くなっていた。

もちろんおもちゃたちや、背景にも、進化した技術が遺憾なく発揮されていた。

言ってる方も多いが、一番印象的なのはボーの素材感
1, 2ではあまり意識できなかったが、今作のボーは陶器製であることがよくわかる。
CG特有の冷たさともまた違う、陶器としてのひんやりとした感じがよく出ている。

あらためて、トイ・ストーリーはCG技術の歴史そのものだなあとしみじみとした。
たしかにディズニー本体も今ではCG作品ばかりだし、他スタジオもフルCGアニメーションがたくさん製作されているのだけれども、あらためて、フルCGアニメ―ションの興りはトイ・ストーリーなんだなあってしみじみした気持ちを抱かずにはいられなかった。

あらためて今の技術で1を(ストーリー一切変えずに)見てみたいなあと思う。

シリーズへの愛

ここからはストーリーの核心に触れます。ご注意ください


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そもそも映画や小説などの物語には2つのパターンがあると思う。
一つは、ストーリーがあってそれに合わせてキャラクターが動いているもの。
もう一つは、キャラクターがしっかりたっていて、キャラクターが動くことでストーリーが生まれるものだ。

トイ・ストーリー4は間違いなく前者だ。
あまりにもウッディが別れを選択するためのストーリーだった。

それはいい。
ストーリーファースト、キャラクターファーストどちらが優れているというわけでもない


けれども、トイ・ストーリーはシリーズものである。
新作のストーリーが紡がれる前から、鑑賞者のなかにそれぞれのキャラクター像がはっきりありすぎる。

だからこそ、このストーリーファーストな物語に、違和感を感じずにはいられなかった。

ボニーがウッディにやたら塩対応なのも、
バズが胸ボタンを押し続けるだけで自分で何一つ考えないのも、
アンディ時代からの仲間たち(※ボー除く)の存在感が空気なのも。

ラストを思えば納得だけれども、私の中にあったキャラクター像とのマッチしていない部分が大きすぎた。

新作はともかく、みんなに愛される物語であるほどキャラクターへのイメージや性格のとらえ方の愛着が大きくて、ストーリーファーストの物語はかなり受け入れにくくなるんじゃないかなと思う。

おもちゃの残酷な現実

1はおもちゃが魂を持っている、というわくわくした世界観が与えられた。
ただひたすら夢の世界だった。

けれどもおもちゃという設定である以上、目をつぶれない悲しい現実がある。

おもちゃはすぐになくされるし忘れられる、
シリーズで一貫して主張されていた。

そして、たとえ持ち主がアンディのようにおもちゃをとても大切にする人でも、いずれは大人になり、おもちゃで遊ぶことはなくなってしまう。

こういった現実はすでに2の段階で意識されていた。
それでも2ではアンディのもとへ帰ることを選択した。

そして3ではついにこの現実に直面した。
そこで別の子供たちのおもちゃになるという道が与えられた。
輪廻転生。サークルオブライフ

4ではさらに一歩踏み込んでしまった
そもそもすべてのおもちゃが持ち主に愛されているわけではないという、目をつぶっていた現実。
また、新たな持ち主の手に渡っても、こどもたちの愛が永遠に続く保証はないという現実も突き付けてしまった。

4を見て初めて知ったわけではないけれども、トイストーリーでは目をつぶっていた現実に殴られて、処理が追い付かなかった。
あ、これ触れちゃっていいんだ、という驚きとともに。

いまのディズニー/ピクサーに置いてけぼりにされている私

ディズニー(ピクサー含む)はもうおとぎ話を作るのをやめたんじゃないか。

うすうす気づいていたけれども、気づいていないふりをしていた。
でも改めて実感させられてしまった。

"おとぎ話"という言葉の解釈は人それぞれだと思うが、私にとってのおとぎ話は、とにかく夢と魔法の物語
夢を広げるために、都合よく目をつむることもある

わたしは、幸せのために都合よく目をつぶることは好きなんだけど、きっとそれでは救われない人たちがいたんだろうなあとは思う。
ディズニーの影響力を増している以上、いろんな人が楽しめる作品を作ることが求められているのは間違いない。

ディズニーの変化を受け入れるべき、というかどうこう言う権利は私にはない。
でもやはりどこかにさみしさを感じる私もいて、もどかしい

*1:日本では2019年7月12日 この記事を書いているのは8月の頭