スタジオジブリの名作「もののけ姫」が4Kリマスター版として2025年の映画館に帰ってきた。
もののけ姫は大好きな映画のひとつだ。
大好きな映画が高画質で映画館の環境で楽しめるなんて、とても貴重な嬉しい機会だ。
IMAX上映が始まってすぐのころ、たまたま私が忙しくてなかなか映画館に足を運ぶ調整がつかなかったのだが、きっと人気で長くやるだろうし絶対に滑り込みたいな…と思っていたらIMAX以外の通常版やDOLBY CINEMA(一部の劇場除く)上映決定していた。
せっかく4Kにデジタルリマスターしたのなら、通常版ではなく、IMAXやDOLBY CINEMAなどより効果的な上映回で楽しみたいと思っていたので、たまたま空き時間とうまく時間がはまったDOLBY CINEMAで観てきた。
家でも何度も観たし、2020年の再上映でも映画館で鑑賞しているにもかかわらず、今の自分の状況とDOLBY CINEMAの環境だからこそ感じられたことを残しておきたい。

あえて時間など消さずに載せてみる。
名作は何度観てもおもしろい
素晴らしいものはいつ見てもよい。
それだけじゃなくて観ている私の状況が変化していくので、観て感じることがかわるのがなかなか興味深い。
幼少の頃よりジブリ作品は金曜ロードショーなどの地上波放送の力もあってとても身近だった。
とはいえ、DVDで何度も観ていたのは千と千尋の神隠しやハウルの動く城、そして地上波放送で天空の城ラピュタ、魔女の宅急便、そしてとなりのトトロは繰り返し見ていたのだが、意外ともののけ姫は観ていなかった。
たぶん初めてもののけ姫を観たのは中学生か高校生の頃だっただろうか。
そこから何度も観る大好きな作品になった。
当時はアシタカの強さに惹かれた。。
弓矢で腕や頭を飛ばす映像がなかなかショッキングだが、アシタカの精神的肉体的双方の強さを印象付ける。
逆に、エボシ御前がハンセン病患者を庇護しているシーンと森の破壊を先導していることの関連性やシシ神殺しに天朝様(天皇)の書付が出ていることとかはあまりよく考えなかった。
そこから10年以上の時を経て私も成人し、いくつか経験を経て立場も変わった。
感性も、ものの考え方も多少は進化しているのだと思う。
エボシ様になりたかった
かつてはエボシ御前にたいしてカリスマ性には惹かれてかっこいいと思っていた。
憧れの女性として名前が挙がるぐらいだった。
とはいえ、行動原理がよくわかっていないキャラだった。 2025年の私には、エボシ御前の為政者としての立場と戦略が光るように感じた。
弱い立場の人が人間として扱われて生きていくことのできる、ヤマト政権(=天朝様、帝とその周りの権力)とは別の権威を彼女一代で作り上げた。
たたら場は、中の女たちが天朝様=帝と言われてもピンとこないしっかりとした別の権威で成り立つ世界である。
一方で、アサノ公方はじめ外の勢力からどう思われどう生き抜いていくかしっかり戦略を考えている。
森を切り開き山の神と対峙していたが、シシ神の首を討つこと自体に彼女の利益はない。
それでも外の勢力に攻め込まれず生き残るため、中央の権威には一定の便宜を図った。
これだけのことをやると、ついつい一番守りたいものがおざなりになってしまうのだが、弱い立場のものが人間として尊重されながら生きていく社会をつくるという根幹が揺らいでないことが恐ろしい。
ハンセン病患者との交流のシーンのあたたかさもそうだし、なんといってもたたら場の女たちの生き生きしたことよ。
昔よりもエボシ御前の解像度が上がったことにより、かつて感じた「こういう女性に憧れる」という気持ちをぼんやりと思い出した。 昔の自分と違うのに、より昔の思いを強くしたというのが奇妙なようで面白い。
たたら場の女たちの輝き
エボシ御前のつくったたたら場を象徴するのがたたらを踏む女たちだ。
たたら場の女たちは強い、気が強い、豪快…といった表面的な印象を持って受け止められることが多い。
かつての私もそう思っていた。
でも今回改めて映画館でじっくり見たことで、「自分の役割を理解し、一人の労働者として社会に参加している誇り」が彼女たちを輝かせているように今回は思った。
今より女性の社会進出が進んでいなかった、1997年にこのたたら場の女たちを描いたことが今の私に染み入ってしまう。
この群像は「母である」という視点を通さずに「働く女性の生き生きした姿」を描ききっている。
たたら場という社会の一員であり、自分の労働が共同体を動かしていることを知っている。その自信が笑顔や声の張り、立ち居振る舞いにまで滲み出ていて、本当にかっこいいのだ。
トリビアなどで、「たたら場には子供がいない」が取り上げられることがある。
危険な場所だからとかまだ新しいからとか取りざたされているが、改めて見てみるとエボシ御前が望んだ女たちの輝く姿の輪郭がより鮮明になるよう意図されたのであり、実際にいたかもしれないが作劇上の都合でたまたま描写してないだけのように思う。
というのも空間に子供がいると、女性は"若い娘か母か"の2択として受け止められがちだ。
でもエボシ御前がつくる集落は、労働社会からつまはじきにされたものを人として受け入れ、働ける場所でなければならない。
ここがうまく子供のいる描写と合致しなかったのだと思う。
ちなみにパンフレットで宮崎駿監督はこうコメントしているらしい。
そのため、男が守らなければいけない女とか、家族の中の女性というふうにはしないで、わざと切り離した。本当は子どももいたんでしょうけど、子どもを入れるとややこしくなるから、あえて入れなかった。そのうち、子どももいっぱい生まれてくるんでしょうけど、今はまだそういう時期じゃないっていう状態のタタラ場にしておこうと思った。
魂が宿る もののけ姫の自然観
ぱっと見「自然 vs 人間」「自然を守ろう」に結論を倒してしまいたくなるが、そういう理屈でこの映画は進んでいない。
シシ神は自然=大切なもの/人間=自然を破壊する悪、という単純なルールとは異なる、もっと静かな非情さをもつ存在だ。
シシ神は、石火矢に打たれたアシタカという人間(しかもよそ者)の命を救う一方で、森の住人であり神の乙事主の命を吸い取る。
いくら乙事主が祟り神になったとはいえ、その背景には確かに人間の森への侵攻があるのにも関わらずだ。
シシ神は森を守るために在るのではない。
ましてや人間の行いを裁くために存在しているわけでもない。
アニミズム的な「すべてに魂がある」ような感覚は全編に漂い、そしてただ自らの秩序で動いている。
人は完全な原生林では生きていけないし、今ある森の多くには人の手が入っている。
それでも命は途切れず、森はただ森として在り続ける。
DOLBY ATMOSの音の表現の妙
DOLBY CINEMAとは最先端の光学・映像処理技術を採用したドルビービジョンプロジェクションシステムとリアルなサウンドをもたらすドルビーアトモスに、卓越したシアターデザインが組み合わせられたシステムである。
ドルビービジョンの漆黒とそこからくるはっきりとしたコントラストは初めて見たときは衝撃を受けたが、本作で際立っていたのはドルビーアトモスの繊細な音の表現だったと思う。
5年前に初めて映画館で観たとき静寂の効果に感銘を受けた。
地上波放送だとCMもはいるし、そもそも家で沈黙を作ることは非常に困難だ。
映画館で観ることで隣の人の動作音はあるとはいえ、生活とは切り離された没入感のとりこになったし、静寂の効果がこんなに有効に使われている映画だと何度も観ていた作品のはずなのに初めて知った。
今回はDOLBY CINEMAで観て、静寂の効果ももちろんだが、自然の音の豊かさに驚いた。
雨の音、足音、水が動く音、そんな自然の息づく音がリアルに届けられて、これまでにはない没入感で楽しめた。
音の綺麗さはもちろんだけど、方向があるというのが没入感に与える効果は絶大だ。
さいごに
見慣れたはずの作品なのに、DOLBY CINEMAの没入感のおかげで、まるで別物のように立ち上がってきた。
新たな気付きもあれば、これまでとは琴線が触れるポイントも変わっていた。
きっと多くの人がすでに観た作品だけれど、時間をおいて観返すことで、新しい読みが生まれる余地がすごく大きい映画だ。
なぜなら世界の理(ことわり)が作り込まれていて、キャラクター配置が巧みで、そしてキャラクターが己の言葉を語るからだ。
しっかりとした世界でしっかりした人間が生きているから、観るべきポイントが多く一度に受け止めることが出来ないので、その時の自分の心のありように響きやすいところから入ってくるのだろう。
こんなに何度みても気づきがある作品を映画館で、しかもDOLBY CINEMAという効果的な舞台で楽しむことが出来て良かった。
IMAXもみておきたいし、ぜひまた期間を開けて再上映してほしい。
また、ぜひ何度も観ている人たちに繰り返し見て欲しい。
久しぶりに観る人ほど、今回の4K上映は新しい発見が多いと思う。