虹はね、

なんでも置き場


「えっあんまりかわいくないね(笑)」といわれるのがこわい

「えっあんまりかわいくないね」と、真剣にではなく軽く言われるのが怖い。
…自分のことでなく好きなアイドルのことだ。

ファンじゃない人とアイドルが出てるテレビをみるのが怖い

いまはほとんどアイドルを追いかけてはいないが、過去に好きなアイドルがいた。何人か。

その子(複数人いるがいずれも)日本中誰でも知っている、なんてわけもなくむしろ知っている人のほうが少なかったぐらいだとは思うが、ときたまテレビに出たりしていて、全く興味がない人の目に触れることがあった。
するとアイドルに興味ない人のなかには「えっ可愛くないじゃん」「一般人のほうがかわいくない?」と口に出してしまうひとがいるのだ。

たしかに、推しよりかわいい人は日本中にいるのはわかっている。なんなら芸能界に入っていなくたって、クラスメートや近所のおねいさんのほうが美人かもしれない。

それでも、推しなのだ。そして、クラスメートや近所のおねいさんは推しではない。
そして推しはかわいい。
だって推しだから。好きな人はかわいい。 推しのこと可愛くないって言われたら、めっちゃ傷つく。たとえそんなにその言葉が意味を持っていなかったとしても、言葉尻がもう突き刺さってしまう。

だから、アイドルが出てる番組をファンじゃない人とみるのが怖い。

なんなら推してないグループでも怖い。
人とは言えだれかが傷つくところなんて見たくないから。 そして明日は我が身かもしれないから。

もちろんそんなかわいくないなんて無神経なことを言う人は一部なのはわかっているが、この無神経なひとが決して少ないとはいえないくらいいるのは身に染みてわかってしまった。
たまたま一緒にテレビを見るひとが、そんな無神経な人かはどうかは分からないけれども、そんな無神経なひとだったら、と思うと、好きなアイドルがテレビに出てるのをファンではない人と一緒に見るのが怖い。

2種類の"魅力"

どうしてこんな悲劇が生まれてしまうのだろうか。
それは"好き"という気持ちが、そう簡単なものではないからだ。


"魅力"には2種類ある、と思う。
一般的に良いものに対して抱く気持ちと、特殊な関係によって生まれる気持ちである。
以後、前者を"一般性魅力"、後者を"特殊性魅力"と呼ぶこととする。相対性理論かよ。まあ相対論なんて全く理解してないけど) 

一般性魅力はわかりやすい。
見た目に関することだと、目が大きいだとか、顔が小さいだとか、足が長いだとかそういった類の"魅力"だ。もちろん見た目だけでなくて、礼儀正しいだとか、頭がいいだとか、コミュ力が高いだとかそういうことも、もちろんこの"一般性魅力"に含まれる。アイドルにおいては、歌がうまいとかダンスがキレがあるとかも含まれてくるだろう。
誰もが共感してくれる魅力。言語化できる魅力。それが一般性魅力だ。

一方、特殊性魅力は難しい。
ものすごく些細な出来事なのだ。目の奥に光る何かが美しかっただとか、笑ったときにできるしわが愛しいだとか、そういう類の魅力だ。"対象"と"わたし"の間だけに起こった出来事から生まれてくる魅力とでもいえばいいだろうか。
とにかく言語化しにくい。


しかしこの特殊性魅力はとても厄介だ。強い引力を持つ。

かつて明石家さんまさんがモーニング娘。道重さゆみにラジオで

『明日大阪で握手会、明後日仙台で握手会、来てね』言うて飛んできてくれる男なんかおらん。彼氏かて旦那かて、そんな男おらんわ。ファンだけなんや、そんな我儘についてきてくれるんわ。

と語った。
ちなみにこのあとは「そやからから恋愛は絶対隠さなあかんねん。それがファンへの礼儀や。」と続く。

ファンをそこまで惹きつけるのが特殊性魅力だ。我儘についていきたいと思わせるほどのパワーを持っているのだ。

一方、一般的魅力はそこまでの強い引力は持ち合わせていない。視線を向けるくらいの力しか持ち合わせていない。
一般的魅力を突き詰めた先にあるのは、多くの人の間で魅力的だと共有されることである。特別な関係は生まれない。

しかし、一般性魅力は広く認知されていると思うが、特殊性魅力は言葉にしにくいゆえにあまり認知されていないように思う。だからそこをはき違えて、誰かの特別になりた一般的魅力を磨いても悲劇しか待ってない話はまたいつかしてみたい。

これが悲劇の始まりだ。

アイドルが毎日のように歌番組に出ていて、お茶の間で広く認知されていた一昔前はともかく、アイドルにあふれている現代では、アイドルとその特殊性魅力にひきこまれたファンの特別な関係とお金儲けをしたいおじさんたちによってアイドル業界は成り立っているのだ。
要約すると、アイドルとファンの間には特殊性魅力による引力が働いているのだ。

だから、ものすごく些細な、でも運命的な、魅力を見出した出来事を共有していない"ファンでない人"と魅力が共有できないのは当然なのだ。

だから、好きなアイドルが目の前で「かわいくないね(笑)」といわれてしまうような、悲劇が生まれてしまうのである。

外野なんて無視すれば良いじゃないか

と、いうわけで、この件で傷つかないためには、もう"そもそも共有しない"ぐらいしか思い浮かばない。
テレビ番組に出てても録画して一人で、もしくはヲタク仲間とみるのが最善だろう。(あきらめみたいな結論で申し訳ない)

すると、出てくる意見のひとつが、
「ほんとに好きだったら、否定されても貫けばよくない?」
である。

冗談じゃない

何が楽しくて、好きなものを否定されなきゃいけないんだ。
しかも軽い気持ちで傷つけてくるのがさらに腹立たしい。

「否定されて嫌になるぐらいなら好きじゃない」

もし仮にそうだとしたら、推しに対して湧き上がってくる気持ちは何だろう。
"好きじゃない何か"なのかもしれない。とりあえず私はそれでもいいと思っている。でもこの気持ちに名前を付けるとしたら「好き」がいちばん近い思う。好きになり方、愛し方を他人から決めつけられる謂れは、どこにもない。

心の中の私はいつも反論する。
「ものの愛し方は私が決める。それに、否定されるぐらいで嫌にならなかったところで、そもそも人が大切にしているものを非難するのはいかがなものか」

さいごに

さいごは昂ってしまって支離滅裂になってしまったのは、ご愛嬌ということで許してほしい。

誰かの特別に心無い言葉をかける人がいなくなることを願って。